【カナタ電話第4巻第2号】

キーワード:핑크빛핑큿빛 か,사이 ㅅ

Q:(第4巻第2号:1994年夏)「핑크빛」は一単語として固まったもののように見え,また「」が濃音で発音されるので,「핑큿빛」と書かねばならないように思えるのですが,ほとんどが「핑크빛」と書いているようです。どちらが正しいのですか。
A:おっしゃるとおり「핑크빛」は,사이 ㅅをつけて書く条件をすべて備えているように見えます。しかし,사이 ㅅに対して規定しているハングル正書法30項では『사이 ㅅは次のような場合につけて書く』として、以下のようにまず3つの場合に分けて規定しています。

1.固有語からなる合成語で、前の語が母音で終わる場合
2.固有語と漢字語からなる合成語で、前の語が母音で終わる場合
3.2音節からなる次の漢字語

 ハングル正書法ではこの3つの場合を挙げた後,1,2の2つの場合に사이 ㅅを書く細かい条件を規定しています。したがって、사이 ㅅをつけて書こうとすれば上の3つの場合の中のひとつに該当しなければなりません。外来語や外国語が含まれる場合は,仮にそれが사이 ㅅをつけて書く他の条件をすべて備えていたとしても사이 ㅅをつけて書くことはできません。「핑크」という外来語、または外国語を含んでいる「핑크빛」は사이 ㅅを付けずに「핑크빛」と書かなければなりません。
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キーワード:語幹の活用(は付けなくてもよいのか)

Q:(第4巻第2号:1994年夏)辞書で見ると「-」と「-려고」はパッチムのない動詞語幹につき「-으러」と「-으려고」はパッチムのある動詞の語幹につくものとなっています。だとすれば、「만들러, 만들려고」と「만들으러, 만들으려고」のうち,どちらが正しいのですか。
A:」で終わる動詞のすべてがこのような問題をもっています。辞書のとおりにするならば、「놀으러, 돌으러, 만들으러 ……」,「놀으려고, 돌으려고, 만들으려고 ……」のようにするのが正しいです。しかし、これは私たちの日常の言語事実と合いません。私たちは大体「놀러, 돌러, 만들러 ……」,「놀려고, 돌려고, 만들려고 ……」と書いています。したがって、このように書くのが正しいだろうと思います。辞書での解説は多少不完全な解説であり,これからの辞書では「-」と「-려고」に対する解説では「母音やで終わる動詞につく語尾」と修正されなければならないでしょう。
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キーワード:홀몸이 아니다홑몸이 아니다

Q:(第4巻第2号:1994年夏)小学校の教科書を見ると,私たちがよく「홀몸이 아니다」という形で知っている表現が「홑몸이 아니다」となっていました。「妊娠している」という意味で「홀몸이 아니다」が正しいですか。それとも「홑몸이 아니다」が正しいですか。また、2つの違いは何なのか知りたいです。
A:まず「妊娠している」という意味では「홑몸이 아니다」が正しいです。辞書を見ると「홑몸」は『@世話をする人がいない身、A妊娠していない体』と説明されています。一方、「홀몸」は『配偶者や兄弟がいない人』と説明されています。これを見ると元々「妊娠している」という意味では「홑몸이 아니다」が正しい表現というのがわかります。このように似た単語が間違って使われる例はこの他にもとてもたくさんあります。現在は「홑몸이 아니다」が正しい表現なのでこれをお使いにならなければなりません。もちろん「配偶者や兄弟がいない」という意味では「홀몸, 홑몸」の両方とも使うことができます。
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キーワード:추켜- は非標準語形か

Q:(第4巻第2号:1994年夏)標準語規定26項を見ると「추어-올리다/추어-주다」を標準語とし,備考に「추켜-올리다」は非標準語となっています。そうだとすれば「추켜-주다/추켜-세우다」も非標準語と見なければならないのでしょうか。
A:추어올리다/추어주다」に対して「추켜올리다」が非標準語であるのは、「実際の程度以上に高く称賛する」という意味で使われるときだけに限定されるようです。標準語規定の基礎になった新ハングル辞典と国語大辞典(民衆)を見ると「추다」は「称賛する」という意味に解釈されるが、「추키다」は単に「上へあげる」という意味だけがあります。これから推測すると「称賛する」という意味では「추어올리다」や「추어주다」だけが標準語といえるのです。実際には「추켜-올리다, 추켜주다, 추켜세우다」がより多く使われていますが、「実際の程度以上に高く称賛する」という意味で使われるときは3つの単語すべてが非標準語とみなければなりません。
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キーワード:고모,呼び方

Q:(第4巻第2号:1994年夏)結婚して嫁ぎ先に行くと、夫の「고모」である舅の妹が来られました。このとき、私の子供はその方をどのように呼ばなければならないでしょうか。また、私自身の「고모」を子供たちはどのように呼ばなければならないのか教えてください。
A:고모」を自分の子供に呼ばせるときは子供の側に立って「대고모(大おば)」、「왕고모」といわなければなりません。近頃は「고모할머니」という言葉が、子供たちの間でより広く使われる現実を尊重する立場から、〔標準話法〕では子供たちの間で「고모할머니」という呼称を使用することを認定しました。これとともに「이모할머니, 이모할아버지」などもやはり使用できるようになったのです。または「고모할머니, 이모할머니」の代わりに,「할머니, 할아버지」の前に「대전, 부산」など地域の名前を入れて「대전할머니, 부산할머니」のように使ってもかまいません。話す人が女性の場合、自分の「고모」を子供に指し示す特別な呼称はないのが実情です。やはり、地域名を前につけて呼ぶのがいちばん良い方法だと思います。
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キーワード: の区別, 曲用語

Q:(第4巻第2号:1994年夏)‘햇밤, 햇곡식, 햇병아리’の‘햇-’という接頭語と,‘햅쌀’という単語における‘햅-’は同じ性格の接頭語ですか。同じならば、なぜこのような違いができたのですか。
A:同じ性格の接頭語です。‘햇병아리, 햇밤, 햇보리, 햇콩’などでの‘-’は‘その年に新しくでたもの’を意味する接頭語です。ところが、この‘-’が‘’と結合するときは‘햇쌀’ではなくて‘햅쌀’の形態を取ります。
 ‘(米)、싸리(荊)、(種)、(時)’などは中世国語で各々‘ps@l, ps@i, psi, pst@i' の形態をもっていました。単語の初頭に‘’音をもっていたこのような単語は、独立した形態で使われるときには初頭の‘’音が隠れて現れませんが、他の単語や接頭辞と出会う場合には2つの形態素の間で‘’音が発音されます。このような構造の合成語や派生語では後にくる単語が主になるので、‘-’と‘’が出会うと,‘햇쌀’ではなく、後の‘’が元々もっていた‘’の影響をうけて‘햅쌀’になるのです。同じ原理で‘粘りがない’を意味する接頭辞‘(粳)−’の場合も,他の単語は‘메조, 메떡, 메벼’などと‘-’の形態がそのまま生きていますが、‘’と結合するときは隠れていた‘’がよみがえり‘멥쌀の姿をとります。
 ‘찹쌀, 멥쌀’の場合と同じく、次の単語でも後にくる主たる単語を固定させ、添加される‘’を前の形態素のパッチムとして書く例をみることができます。

  볍씨(벼+ㅂ씨)     댑싸리(대+ㅂ싸리)
  입때(이+ㅂ때)     접때( 저+ㅂ때)
  냅뜨다(내+ㅂ뜨다)   부릅뜨다(부르+ㅂ뜨다)
  칩떠보다(치+ㅂ떠보다) 휩싸다(휘+ㅂ싸다)

 これと類似した例として、古語で単語のあとに‘’がついていた言葉(曲用語)が他の単語に出会って形成される合成語や派生語の場合を探してみることができます。古語で 曲用語であった単語は‘머리(頭)、(肌)、(雄)、(雌)、アン(内)’などで、これらの単語は合成語で‘’音が添加されるので、あとにくる単語を激音で書かなければなりません。

  머리카락(머리ㅎ+가락)  살코기(살ㅎ+고기)
  안팎(안ㅎ+밖)

 ただし‘암−’‘−’と結合する形態は、標準語規定第7項に例示された以下の場合にのみ後続音を激音で書くことを認定しています。

  수캉아지, 수캐, 수컷, 수키와, 수탉, 수탕나귀, 수톨쩌귀, 수퇘지,수평아리
  암캉아지, 암캐, 암컷, 암키와, 암탉, 암탕나귀, 암톨쩌귀, 암퇘지, 암평아리

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キーワード:부셔부숴

Q:(第4巻第2号:1994年夏)‘어린 아이가 장난감을 ○○뜨렸다’というとき、○○には「부셔」 と 「부숴」 のどちらが入れば正しいですか。
A:부숴뜨렸다’のほうが正しいです。‘부셔’は‘부시다’(器などをきれいに洗う)の活用形で、‘부숴’は‘부수다’(数個のかけらができるように何度もたたいて割る)の活用形です。ご質問の文章は‘子供がおもちゃをたたいたり殴って使えないようにした’という意味なので、‘부숴뜨렸다’が正しいです。‘부셔’と‘부숴’を分析してみると以下のとおりです。

부셔부시-(‘부시다’の語幹)+-(一般的な叙述を表す連結語尾)
부숴부수-(‘부수다’の語幹)+-(一般的な叙述を表す連結語尾)

 ‘부수다’は日常生活で‘부시다’として使い間違える例を多く見ることができます。これは‘’の‘’の音が前舌子音である‘’の影響で前舌母音である‘’に変わって発音されるためです。
 これと似た例で‘비추다’と‘비치다’があります。‘비추다’は他動詞であり‘光をだして何かを明るくしたり表れるようにする’の意味をもち、‘비치다’は‘光がでて明るくなる’という意味をもった自動詞です。したがって‘빛을 비추다 光を照らす’,‘빛이 비치다 光が照る’のように区別して使わなければなりません。もしも‘호수 위를 비치는 달빛 湖の上を照る月光’のような使いかたをすると,自動詞である‘비치다’が目的語をもつようになるので間違った文になります。

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キーワード:생각건대생각컨대 か, 하다+語尾の縮約形

Q:(第4巻第2号:1994年夏)‘생각하건대’の縮約形は「생각건대」 と 「생각컨대」 のどちらがが正しい表記ですか。
A:생각건대」が正しい表記です。固有語では相当数の動詞や形容詞が‘−하다’の形態をとっています。このような用言が縮約形で使われるときは、語幹の終わりの音節「」の「」が落ちて「」が次の音節の初声と結合して激音になります。

  간편하게 → 간편케,  학습하도록 → 학습토록
  다정하다 → 다정타,  흔하다 → 흔타

 ところが例外的に,お問い合わせの「생각건대」などでは語幹末音節である「」がすっかり落ちた形態を認定し,語幹「」が省略された形態で使います。

  거북하지 → 거북지,    생각하건대 → 생각건대
  생각하지 → 생각지,    생각하다못해 → 생각다못해
  깨끗하지 않다→ 깨끗지 않다,넉넉하지 않다→ 넉넉지 않다
  못하지 않다 → 못지 않다, 익숙하지 않다 → 익숙지 않다・・・・・・

 このように例外規定が適用される単語はすべて語幹末音が「ㅂ, ㄷ, ㄱ」などの無声破裂音なので,区別するのは難しくありません。

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