【カナタ電話第7巻第3号】

キーワード:過去時制の表現

Q:(第7巻第3号:1997年秋) 韓国語の表現で過去時制は先語末語尾‘-었-’でのみ表し、‘-었었-’を使うのは誤りだと聞きました。本当ですか?
A: そんなことはありません。韓国語には、英語の過去完了とは性格が少し違いますが、過去のある時点に完結し現在は状況が変わったことを暗示する大過去形が‘-었었-’によって表されます。次の例文を比較してみれば、‘-었-’と‘-었었-’の違いがよくわかります。

   (a)이제 어머니가 오셨어.
   (b)이제 어머니가 오셨었어.

 '-었-'を使った(a)に比べて'-었었-'を使った(b)は、そのことの後にあることがもう一つあったという感じを与え、そうでない(a)とは区別されます。(a)の文は単純に昨日起きた事柄についてのみ記述していて、その後の状況に対しては中立的であり、「お母さんが来られたが今はもう帰られた」可能性もあるし、あるいは、「まだ留まっていらっしゃる」可能性もあります。これに対して(b)は、与えられた事柄が完結し、今は状況が変わったこと、つまり「お母さんが来られたが帰られた」という意味を含んでいます。
 英語と比較して、韓国語に過去完了時制がないというのは、英語には過去時制で表現することよりも以前に起きた事柄は全て過去完了で表すようになっていますが、韓国語にはそういう意味の過去完了形態がないためです。つまり、外国語の文を翻訳する時、「내가 집에 도착했을 때, 그녀는 이미 떠났었다」ということがありますが、これは自然な韓国語の文ではありません。これは'그녀는 이미 떠나고 없었다'又は'이미 떠났다'としてこそ正しい表現になります。韓国語の大過去は過去の状況より少し前の状況を表すことは表すのですが、'-었었-'と関連する'-었-'の状況が表面に現れる場合は非常に稀で、大部分の場合は'-었었-'で表現された事柄の後に別の事柄が起きたであろうということだけを含意としてのみ持っています。しかし、だからといって「韓国語に大過去の表現がない」と言うことはできません。上の例で見たように'-었었-'が使われる大過去の文は'-었-'が使われる文とは違う意味を持つようになります。
 
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キーワード:말씀の使い方,尊敬語,謙譲語

Q:(第7巻第3号:1997年秋)'말씀'は'(ことば)'の尊敬語ですが、時々"제 말씀은・・・"のように自分の言葉を'말씀'と尊敬語にして話すのを聞くことがあります。これは間違っているのではないでしょうか?
A: 尊待法(尊敬語)とは相手をもてなすために聞き手を高めたり話し手を低めたりすることを言います。韓国語では主に先語末語尾'−시−'や終結形語尾によって尊待法が実現されます。しかし、いくつかの語彙は尊敬又は謙譲の形態が別にあって、対話時に相手を高めようという意図によってそういう語彙を適切に選択し使用しなければなりません。例えば'진지'や'연세, 약주'などはそれぞれ'밥, 나이, 술'の尊敬語であり、'저, 저희'などは'나, 우리'の謙譲語です。'말씀'の場合は、大抵''の尊敬語としてのみ知られていますが、実際は謙譲語でもあります。従って目上の人の前で自分の言葉を指すときは'말씀'と言わなければなりません。つまり"선생님께서 말씀하시겠습니다(先生がおっしゃいました)","성현의 말씀에 따르면・・・(先賢のおことばに従えば…)"のような文章に用いられた尊敬語としての'말씀'と違い、多くの人の前や目上の人たちの前で自分を低めるためにも'말씀'という言葉を使うことができます。従ってご質問の'제 말씀은・・・'あるいは'제가 말씀 드리겠습니다.(わたくしが申し上げます)'のような表現は間違いではありません。
 
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